会員のひろば


小笠山と六枚屏風 Youtube

小笠山を愛する協議会の監事で会員の佐藤典雄さんが「小笠山と六枚屏風」のビデオを制作しました。YOUTUBEにアップされています。


 

巡り合い、そして消えたマツバラン

会員 榊原祥子

 

ある時、小笠山を愛す る協議会の植物調査で「マツバラ ン 」を教わった。小笠山の 案 内 書 で 必 ず名 が 載 っ て い る シダ植 物 で あ る が、 40年 以 上 も 小 笠 山 を う ろつい て い る 私 は 見 た こ とがな か っ た 。 名だた るマ ツバラ ン の 御 目 見 得 で あ っ た が、

拍 手 喝 采 は ずい 分 控 え 目 だっ た 。 ス ギナ に 似 て い る と 思 え た か ら だろ う か 。 と ころがで あ る 。 それか ら間 もなく私 は かなり 立 派だと 思 わ れ るマ ツバラ ン を 見 つけて仰天した。草丈15㎝位、幾つにも分枝した枝に黄色の粒を点々とつけ、夕日を浴

びて 輝 い て い た 。 可 愛 ら し く 美 し い 。私 は た ち ま ち 魅 了 されて し ま っ た の で あ る 。そこは私が長年散歩している道。長年マツバランはその場所を 栖 として生き続け 、 そ の 側 を 私 は 毎 日 の よ う に 歩 い て い る の に 全 く 気 付 かな か っ た 。 周 り の 草 や苔 や 斜 面 か ら 垂 れ 下 が る ウ ラ ジ ロ (シ ダ植 物 )等 が 一 帯 と な っ て 溶 け 合 いな が ら私 の 目 か ら 逃 れ て い た よ うだ。 見 つけ る き っ か け は 黄 色 の 粒 ( 胞 子 の う )だっ た 。今 まで隠れていた マツバラ ンが全容を 現したのは奇跡だと思えた。そしてこ の発見 は、小笠 山で教わっ たマ ツバラ ンが誘引し てくれた よ うな気がした。 「生き た化石」と言われるマツバラ ン 。今や化石人間である私に己の存在をア ピールし 、私にメ ッセージを送ってくれたようだ。

と こ ろ で 、 ど こ か ら 胞 子 が 飛 ん で き た の だろ う 、 マ ツバ ラ ン は 古 典 園 芸 植 物 という。江戸時代、大変人気があって栽培されていたら しい。その胞子があちこちに飛 ん で 思 い がけ ない 場 所 で 芽 を 出 し 育 っ た こ と も あ っ た と い う 。 そ の子 孫 か も しれない。 しかし そ こは 人家には甚だ遠いパイ ロ ッ ト道路。そ して小 笠山の南の端っくれ 。西へ向 けて 幾つもの谷があ った 。 今では 茶畑 になった所も 多く 、マ ツバラ ンやが 育 つよ うな 環 境 は 無 い と 思 うが、 ど こ か に自 生 地があ っ た か も しれ ない 。そ のよ う に 勝 手 に 推 測 し て は 一 人 悦 に 入 っ て い た の で あ る 。 誰 に も 告 げず、 毎 朝 挨拶に行 き 、そ の姿を確認 して2年近 くが無事 に過ぎた 。 とこ ろが今春 その マ ツバラ ンが突然消えたのだ。下草刈りのボラ ンティアがウラジロと共にきれいに刈ってしま

った のだ。跡にはス ギナの ような細い枝が1本残っていた 。復活するには長い年月が か か り 、 私 は も う 見 る こ と が で き な い 。 2年 近 く も 楽 し ま せ て く れ て あ り が とう!感謝の気持ちでいっぱいだ。

里 山 と 人 間 、 自 然 と 人 間 の 関 わ り 方 を 移 り 行 く 時 代 と 共 に 改 めて 考 え た 。 半 世紀 前 、 小 笠 山 の 開 発 で 山 が 削 ら れ 、 植 物 の 保 存 な ど 問 題 に し な か っ た 頃 、 こ の 地域 の人も 地域以 外 の人 も 、 山に入 って は、 さ まざまな植 物を 採 ってきてい た。セッコ ク もウ チョウ ラン もあった と聞く 。エビネを採って来た人がいて、その1本を頂いた こ と が あ っ た 。 最 も 人 気 が あ っ た の は ミ ヤ マ (ミ ツ バツ ツ ジ )だ。 当 時 の 人 た ちはすでに鬼籍に入られているが、 ミヤマが見 事な花を庭で咲かせている。その後50年 も 経ち 、 山 も変 わ り 、最 近 はミ ヤマ も ヒ カゲツ ツジ も増 え てき た よ う に思 う 。小笠山の春は魅力を増してきた。開 発 した ミ カ ン畑や茶 畑 は 、年 々 御用 済 みが増 えて 放置 されて い く 。すべて を元 の小笠 山の よ う に 戻す こ とは 不可能だが、環 境を 整えて 、少なくなった植物や失った植物の復活を念じるこの頃である。

 


 

 

影山淳さん「アラムクからマナスル」の記念誌発行

 

当会会員の影山淳さんは、1976年、イラン・日本合同登山隊に参加、ヒマラヤの標高8156mのマナスルの登頂に成功した。今回マナスル登頂45周年記念誌がイランで発行された。

影山さんはシルクロ-ドのトルコから中国まで14480キロを2003年から8年かけ自転車で単独走破した。その後、パミ-ル高原の探検や2016年にはイラン最高峰ダマバンド山(5671m)に仲間と登るなど、国内だけでなく世界で活躍。現在「かけがわ応援大使」として掛川の魅力を国内外に発信している。

 


 

 

 

川島安一さんが「砂漠のファンタシア、70歳なぜ走るのか」を自費出版

 

アフリカのナミブ砂漠250キロ・7日間のレ-スに70歳で挑戦、実話を基にした小説、エッセ-などを収録。著者の川島安一さんは当会会員で理事。川島さんは小笠山のトレイルランニグを日課

としている。限られた人生を年齢にとらわれず精一杯生きる彼の姿に感銘を受ける。本は県内の主要な書店及びアマゾンで買うことが出来る。


 

 

中山修二さんの「自然豊かな小笠山」が静岡新聞掲載

 

当会会員の中山修二さん投稿の「植物、野鳥、自然豊かな小笠山」が静岡新聞「ひろば」に掲載された。